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2017年5月28日 (日)

【紀伊半島】エルトゥールル号が繋いだ日本とトルコの絆

トルコ記念館  Turkey Museum

くしもと大橋を渡り大島に入ると、島の中央を東西に幹線道路が通じていて、一番東の端に広い無料駐車場があり、そこから島の東端・樫野崎灯台まで遊歩道が続いています。
その遊歩道の入口にあるのがトルコ記念館です。
エルトゥールル号遭難の悲劇を通じて串本町トルコとの交流が始まり、国際的な友愛の精神を広く伝えるための記念館です。

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エルトゥールル号の遭難について、伝えられている話を要約してみましょう。

日本トルコとの修好の使命を果たし終えたオスマン・トルコの木造戦艦エルトゥールル号は、遠くトルコイスタンブールへの帰途につきました。

そして、明治23年9月16日、悲劇が起こりました。
接近中の大型台風とエルトゥールル号は、紀伊半島の南で正面から遭遇することになったのです。


熊野灘の暴風雨は、エルトゥールル号を容赦なく翻弄し、樫野崎灯台沖の、船甲羅(ふなごら)の岩礁へと押し流していきました。

昔から船乗りにとって海魔と恐れられていたこの岩礁に乗り上げた艦は、中央より両断し、特派大使海軍少将オスマン・パシャー 以下587名の尊い命を瞬時に奪い去ったのです。

一命を取りとめた士官ハイダール以下69名は、荒れ狂う怒涛の中、大波に翻弄されながらも必死に島に這い上がり、 樫野崎灯台に助けを求めてきました。
「仲間が海に…!」
しかし、時すでに遅しでした。

嵐の深夜、ましてや通信機関も救助機関もない離島での大事件です。

島の人たちは、言葉の通じないトルコの人々に身振り手振りでコミュニケーションをとり、手持ちの着物やふとんを持ち寄って、応急処置と看護にあたり、また、各戸に蓄えていた芋や、 飼っている鶏などの食糧を提供しました。
島の食糧はたちまち底をついてしまいましたが、人々は各戸の食糧の一切を惜しげもなく喜んで提供したと言われています。

さらに、荒れ狂う嵐の中、自らの命の危険も顧みず、海岸に次々に打ち寄せられる遺体を断崖の上まで運び上げたのです。

Koura
船甲羅

発見された遺体は、船甲羅の見下ろせる樫野の丘に埋葬され、翌年、樫野崎に墓碑が建てられました。
以来、今でも、樫野小学校(現・大島小学校)の児童たちによって、墓地の清掃が続けられています。

Tkinenhi
トルコ軍艦遭難記念碑

さて、事情を知った明治天皇は、ひどく心を痛め、救出された船員たちを、当時日本最新鋭の戦艦であった「金剛」と「比叡」をトルコに派遣し、国運をかけ、 船員を送り届ける指示を出したのです。

代償を求めない大島の人々の献身的な姿が そして日本の対応が 日本とトルコとの友好の絆をさらに深めていったのです。

時は流れ、1985年。
中東ではイラン・イラク戦争が激しさを増していました。

そんな中、イラクサダム・フセイン大統領(当時)は、民間機も含めイランの領空を飛ぶ航空機は全て撃墜することを宣言し、 異国の者は48時間以内に退去することを命じる声明を出しました。
その結果、イランに多くの日本人が取り残される事態となってしまったのです。

当時、海外に自衛隊を派遣する事が絶対に許されなかった日本にとって、取り残された日本人を救出する術はありませんでした。
また、どの国の航空機も自国民を脱出させることに精一杯で、とても日本人まで搭乗させてもらえる余裕はありませんでした。

しかし!
事情を知ったトルコは、危険を覚悟の上、遠くイランまで救援機を送る決定をしてくれました。
パイロットをはじめ、全ての乗員は、業務命令ではなく、自ら志願して名乗り出た者ばかりであったと言われています。

かくして、2機のトルコ航空機が、空爆の続くテヘラン近郊のメヘラバード国際空港に向かい、逃げ惑う日本人全員を救出してくれたのです。

その後、駐日トルコ大使は、「エルトゥールル号の借りを返しただけ」と短いコメントを発表。
日本人に救われ、その上さらに、今も続けられている手厚い祈りと奉仕活動に対して、トルコは捨て身の行動で恩返しをしてくれたのでした。

トルコの学校教育で使用される教科書には、必ずエルトゥールル号の説明がなされています。
2010年には、日本トルコの友好関係120周年を記念して、「2010年トルコにおける日本年」と題し、 1年間を通してトルコ全土で186の行事が実施され、大盛況となりました。
また、現在、日本トルコが共同で、船甲羅付近に沈没しているエルトゥールル号の遺品の回収作業を進めています。
さらに、2015年12月、エルトゥールル号の事故を後世に語り継ぐため、日本とトルコ合作の映画「海難1890」が公開され、話題になりました。

日本トルコは、これからも末永く、エルトゥールル号が繋いだ絆を深めていくことでしょう。

 

        

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